相撲協会に見る、日本の社会が変わらない理由。
先の貴ノ花親方問題に続き、舞鶴で救護のため土俵に上がった医療関係者の女性に、女性は土俵から降りるようにと再三アナウンスで促した相撲協会が騒がしいです。
ナチュラルに考えれば、何を置いても人命救助が最優先です。その人命救助より、これまでの慣習を優先させると言う発想は、アタマのネジがどうかなってしまったのかと思える異常な事態ですが、問題の本質は、慣習や思い込みで思考が停止してることです。
下記のHuffingtonpostの記事によると、『日本書紀』の雄略天皇期には、女性が相撲を取っていたと言う記述があり、どうやら女性が土俵に上がれなくなったのは、江戸時代のようです。
しかしながら、江戸時代には、女性のみの女性相撲も盛んだったようです。
つまり、女性が土俵に上がれないと言うのは、伝統ではなく慣習です。
それを、これまでの伝統だから、と言う伝統の一文字で、それ以降の検証やら議論が全てストップして、挙げ句の果ては、人命救助よりこれまでの慣習の優先です。まさに思考停止、ここに極まれりの状態です。
これと同様のことが、日本の社会の至る所で発生しています。
先日、日本企業に勤務している方とランチをしました。彼女のダンナさんも、同じ会社の経営企画の部署で働いています。
彼女曰く、ダンナさんは、会社の屋台骨を支える大切な仕事のため、毎日、深夜まで残業し、自宅に戻ってからもPCに向かっているそうです。
世の中で話題の働き方改革とは、無縁の状態です。
しかし、、その部署の人間が、毎日終電まで働いても捌き切れないような仕事量があるのであれば、会社側として、人員を増やすか、仕事の納期を伸ばすことが必要なはずです。
会社の屋台骨を支えるような大切な人材であればある程、何かあっては一大事ではありませんか。
それを、仕事だから忙しいのは仕方ないと、思考停止になっているのではないかと思います。
これまでのやり方だから、そう言うものだから、前例がないから、慣習だから、女性だから、男性だから、、様々な思い込みから、思考停止になっているのがいまの日本社会です。
なぜそうなのか、なぜそうなるのか。
なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜと問いかけることを習慣にすれば、そこからいろいろな解決策や発想が生まれ、もっと多様性を受け入れられる社会になるのでは、、と思います。